こんにちは、さおです。
8月15日は、日本では終戦の日とされています。
77年前に、300万人以上の大切な命が消えた戦争があったことが、
本当に信じられません。
私はこのブログを始める少し前に、
兵庫県加西市にある「鶉野飛行場跡」へ足を運んだことがあります。
旧日本海軍の飛行場跡です。
古いスマホで撮ったので、小さい写真ですみませんm(__)m
鶉野飛行場跡には、北条鉄道の法華口駅が一番近いです。
一帯は防空壕や、対空機銃座跡等のいわゆる「負の遺産」があり、
ウォーキングコースが整備されています。
約2kmぐらいだったかと思います。
駅から鶉野飛行場まで、健脚なら十分歩ける距離です。
戦闘機の精巧なレプリカです。
川西航空機が開発した、「紫電改」という名前の戦闘機です。
あの有名な零式戦闘機よりもっと後に造られた戦闘機です。
とても優秀な戦闘機で、
それこそ優秀なパイロットしか搭乗できなかったとされます。
太平洋戦争中盤から、劣勢になってきた日本にとっては、
この紫電改によって、
連合国軍の最新戦闘機に引けを取らずに戦える。
というわずかな希望があったようです。
狭いコックピットです。
この紫電改とはまた別の、
九七式艦上攻撃機(3人乗り)で、ここ鶉野飛行場から飛び立った特別攻撃隊。
21機、63名が亡くなりました。
滑走路跡です。
周辺はとてものどかです。
整備されたウォーキングコースを歩いている途中、
若い父親と小学校低学年の男の子が、私の前を仲良く歩いていました。
戦争についての素朴な疑問を訪ねる男の子に、
父親が答えています。
降伏に向けて動いている情報を掴んでおきながら、
その威力を試すかのように、
あえて違う種類の原子力爆弾を2発も落とす必要は、果たしてあったのでしょうか。
いつの時代も、犠牲になるのは民間人です。
いつも読んでくれてありがとう。
また遊びに来てくれると嬉しいです★★